私は9月7日に同僚と一緒に出張で山形県内を視察した。置賜を回って、私がこれから3年間住むことになる地域に会うことはとてもいい機会であった。
これからの国際交流員の仕事のとても大切な部分の一つといえば、自分の住んでいる地域に対する知識や誇りを持つことだと思う。その日いろいろ回ったけれども、一番この目的に当たる場所は夕鶴の里であった。そこにはいろんな歴史的なものが並んでいた。そして、日本の昔話「鶴の恩返し」が初めて語ったのはこの地方だということが分かった。この話は日本中で語られていて、100話以上のバージョンがあることで私は驚いた。後は道具、機織りの機械などを見て、日本の昔の生活をもっと理解することができた。でも夕鶴の里で一番印象的な山形の郷土文化の経験というのは、具体的なものではなかった。
語学に大変興味のある私は、初めて日本に来た時からずっと日本の方言に興味があった。今まで一番長く住んだ日本の地方は東京なので、一年間住んでいても方言を体験する機会は少なかった。だから山形に来て、特にオフィスで働いているときに周りにチラッと聞くなまりが私にとても面白い出来事である。オフィスで聞いても、私に向けたちゃんとした話といえば最近まで一番長かったのは私のアパートに近い酒屋のおじさんの話だった。
でも、夕鶴の里で山形の方言をよく聞くことがやっとできた。立派な部屋に入って、座布団に座りながら語り部さんに昔話を聴かせていただいた。話し始めてから終わるまで、彼女の表情には大きい笑顔があった。なぜかというと、自分の大切に守ってきた文化を私たちに伝える機会が与えられたからだと思う。語り部さんはそれを果たすために一生懸命努力していた。言葉が全部通じなくても、そのことはよく分かって、とても印象的だった。
これからほかの地方での視察をするのも、山形県の独特なところを見るのも、とても楽しみにしている。
9月7日(火曜)、新任国際交流員の県内視察活動に参加した。今年の新任国際交流員の三人が県庁国際室の三宅補佐に案内され、置賜地方というところに行ってきた。初めてそのような活動に参加したので、私は胸がわくわくしていた。その日、天気が曇りで、時々雨が降っているので、途中の風景が晴天と違って、ロマンチックのような感じがした。
最初に、着いた町が米沢と言うのである。話によると、米沢牛がとても有名だそうだ。でも、残念ながら、今度、食べてみるチャンスはなかった。歴史をよく分かった三宅補佐に説明されながら、私達が「上杉神社」を訪問した。 そこに、第35代米国大統領ケネディが尊敬された日本の230年ほど前の政治家―「上杉鷹山」がいた。上杉鷹山という名君の「伝国之辞」が山形の基底に流れ、受け継がれる思想であった。だから、「上杉神社」にとても印象が残った。
次に、私達が「高畠ワイナリー」を訪問した。さくらんぼ、最上の朝霧などのワインを飲んでみた。でも、お酒に弱い私がちょっとだけ飲んでみて、少し目眩感じがしたので、恥ずかしかった。しかし、そこで、食べてみた白ワインケーキがとても美味しかった。
午後、私達が「熊野大社」と「夕鶴の里」を訪問した。「熊野大社」で三羽の兔についての伝説を聞いた。もし全部の三羽の兔の彫刻を見つけたら、これから幸せになると聞いた。でも、私達が一羽しか見つけなかったので、残念だった。「夕鶴の里」で山形方言で語った民話を聞いた。その民話の意味が大体分かったが、山形県が伝統文化を受け継いだということに対して、私は非常に感心してしまった。
今度の視察を通して、日本では、いくら小さな町でも、小さいことでも、観光することや、伝統文化の受け継ぐことについて、色々な工夫をしている。国際交流員として、その面についての経験を学んで、私の出身地に紹介し、これから、黒龍江省を観光省に発展させることに自分の力を尽くしたいと思っている。
9月7日(火)、新任国際交流員の県内視察ということで、国際交流員の三人は三宅補佐に案内され、置賜地方の視察に行ってきた。山形に着いてから、村山地方を離れるのは今回が初めてで、私は内心わくわくしていた。車にいる間も、あまりにも美しい、新鮮な風景に心を打たれ、これは「正に、山形」と感心しながら、写真大好きな私はカシャカシャと写真をひたすら撮り続けた。
たくさんの山と田んぼを越え、私達が最初に辿り着いたのは、米沢市。以前から、私はなんとなく「米沢」という名前の響きが気に入っていたのだが、米沢という町自体については何も知らなかった。市内に到着して間もなく、米沢は歴史も食文化もものすごく豊かな町で、見所がいっぱいである事が分かった。歴史に詳しい三宅補佐に案内されながら、私たちは「上杉神社」を訪問し、日本の歴史についても理解を深める事ができた。中学時代に歴史の教科書から学んだ人物の神社を実際に見ることができ、とても印象に残った。
次に、私達は「高畠ワイナリー」を訪問した。さくらんぼ、辛口、最上の朝霧、ラ・フランスなど、今までに聞いた事もないワインの種類が驚くほど多く集まっていた。さらに驚いたのは、そんなワインを一つずつ試飲できたこと。決してワイン好きとは言えない私でも、様々のワインの風味を楽しんだ。
昼飯はきっと米沢名物にでもなるかと思っていたら、意外な喫茶店でチンジャオロースと和風パスタを食べた。外国からの料理も日本人の好みに合うように上手く味付けされていたのにびっくり。
その後、私達は「熊野大社」を訪問し、「夕鶴の里」で山形の方言を使って語る昔話を聞き、宮内駅では、温かい駅員とウサギのもっちぃ駅長に出迎えられた。宮内駅内では、端から端までもっちぃ駅長グッズが飾ってあった。ここで私は「日本人は本当にマスコットが好きだなぁ」と改めて感心。それから、私達は宮内駅から長井市まであの有名な「フラワー長井線」に乗り、山形鉄道に務める熱心な小川主任に乗車中に周辺の案内もしてもらった。
今回の県内視察を通して、山形県についての理解を深める事ができ、自分の視野を広げる事もできた。このような理解は国際交流に欠かせないのではないかと思う。この前、私が中国百貨店訪問団の通訳をしていたとき、中国からの代表者が山形についての印象を記者に訊かれ、最上川の話を中国語でしていたが、その時の私は、中国語で発音された最上川(ずぅい・しゃん・つぅあん)が一体なんだったのかと見当もつかなく、ちんぷんかんぷんだった。今はそれどころか、この調子だと、そのうちに自分はカナダよりも山形の方にもっと詳しくなりそうな気がして、カナダ知識もそろそろ磨き上げなければ、と思い始めている。
そこで、私が関心を持った点がもう一つある。それは、日本では、いくら小さな町でも、それなりの工夫をして、観光の見所やその町の独特な「性格」を持っている、ということだ。この事を以前にも他人から聞いた事はあったが、この度、私はそれを実感する事ができた。大学時代にビジネス専攻であった私は、常にブランド化やマーケティングの視点から物事を見る傾向がある。その面では、日本はさすがに世界の観光大国でもあり、本当に優れている。私から見て、一見くだらないと思われるようなことまでマスコットにする日本人(ちなみに、私はかねたんが大好き)。さらに、外国料理も全部日本風にカスタマイズする日本人(和風パスタも大好き)。これらはきっと、日本の観光業界の成功の要素ではないかと私は考える。観光を伸ばそうとしている外国もこんな日本から学べることの一つや二つはあるはず。
つまるところ、今回の旅は、様々な面で、とても有意義な経験となった。
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